令和が終わる頃、令和がどんな時代だったと振り返られるだろう。想像してみると、VR、自動運転車、人口減、都市集中あたりが挙げられるかな。ただ、その時代がどういうものだったかは、次の年号に移るときに振り返るのもそうだけど、200年くらい経ったときにどう語り継がれているかが本質だと思う。
平成は間違いなくインターネット勃興の時代と言われるだろう。PCという端末を通じて情報にアクセスできるようになり、 スマートフォンという端末を通じてそれがいつでもどこでも持ち出せるようになった。まだ平成が終わったばかりだからだろうけど、とてもわかりやすく進化したと感じる。
「端末を通じたインターネット」を実装をしたのが平成だとすると、「社会に溶け込んだインターネット」が始まるのが令和なのではないか。現在、インターネットは情報端末を通じてアクセスするのがメインだが、これはまだインターネット社会のプロトタイプに過ぎない。物理世界にあるデバイスの情報や、そのデバイスが取得する情報を取り込んだり、その情報を社会システムの前提として組み込んだり、処理した結果を物理世界にフィードバックすることでインターネットのポテンシャルが発揮される。
こんなことは、IoTの文脈でも散々言われてきた。ただ最近は、IoTってスピーカーが喋ったり玄関の鍵をスマホで開けられたりするというところでイメージが落ち着いてきてしまっているようにも思える。IoTってそれだけじゃなくて、もっと壮大な何かなんですよ(語彙力)
こういうコンセプトを実現して社会に溶け込ませるにはかなり総合的に学際的に知見を積み重ねていく必要があって、こういう研究をする分野をなんて呼べば良いんだろう。と考えて出てきたのは「情報科学」だ。日本語の「情報科学」は、英語の "Computer Science" の訳に相当する。いままで、Computer Scienceを情報科学と訳したことにとても不満を持っていたのだけど、こう考えると情報科学というのはとてもいいワードだなと感じる*1。Computer(計算機)でもComputing(計算)でもなくて情報が主体になる。
最近、この先何をしたいのか考えることが多いんだけど、残りの人生でバリバリ活動できる期間は概ね令和と一致すると思われるので、この先の自分のことを考えるのと令和がどういう時代になるか考えることはいろいろと共通する。ということで令和もやっていこうと思うんですけどね。
*1:いいワードだからといって紛らわしいことには変わりないが