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北海道の大学教員/情報科学研究者の日記

退職しませんでした


退職します - 想像力より高く飛ぶという記事を読んだ。


私も、退職してアカデミックに行くことを本気で考えたことがあった(しかも2度も)。そして、ご存知のとおりまだ会社を辞めていない。2度とも「退職しない」という決断を下した。下した決断は彼とは異なるが、同じことを考え、同じ理由でアカデミックに惹かれたので、彼の退職するという決断を素晴らしいと思うし、応援したい。

この記事にインスパイアされて、自分も何を考えて「退職しなかった」かを書いておきたくなった。退職します/しましたという記事はたまに見かける。しかし、退職しませんでしたという記事はあまり書く人がいないように思う。辞めない決断をした直後は書きにくいし、かといって他に書くタイミングがないためだろうか。私もこのタイミングを逃すともう書かない気がするので、忘れないうちに書いてみる。

前提条件

  • 高校生の頃から、物理学者になりたかった。
  • 大学1年→2年の進級の際、物理学科に行きたかったが成績が悪かったため行けず、物理学科以外で一番物理っぽい地球科学科という学科に進んだ(プチ挫折)。
  • 修士の研究は「宇宙プラズマ物理」で、研究テーマに恵まれて成果が上手く出ていたこともあり研究に没頭した。
  • 博士に進んで研究を続けることも考えたが、「世の中の役に立つことがやりたい*1」「本気を出せば研究に限らず何でも面白いだろう」という理由で就職することを選んだ(物理学科に進めなかったというコンプレックスも若干あったかもしれない)。
  • 就職は、メーカーの研究所でネットワークの研究開発という全然異なる分野に進んだ。

1度目:入社2年目の春

入社してちょうど1年が過ぎ、仕事にも慣れ、とても充実していた日々を過ごしていた。そんなある日、通勤の電車で Newton を読んでいた。そしてふと気づいてしまった。

学生の時は Newton を読んで、最先端の成果を知識として吸収したり、自分の研究との関連性を考えたり、いつか自分の成果が載るように頑張ろうと刺激を受けたりしていた。「中の人」の視点で読んでいた。しかし今は、科学を教養として情報収集するだけ。いつの間にか「外の人」の視点になっていることに。

そして思い出した。「あ、そういえばオレ、物理学者になりたかったんだ」と。

分野こそ地球科学と括られるが、やっていた研究はまさに物理そのもの。物理をやるために会社を辞めて出身研究室に戻ることを真剣に考え始めた。1年のブランクがあるが、これは十分に取り戻せると考えていた。というのも、まず、会社に入ってから身についたスケジュール管理やタスク管理を活用すれば、修士の時よりも遥かに効率よく研究を進められそうと感じていた。そして、会社に入ってからは分野違いということで情報科学を基礎から勉強したのだが、宇宙プラズマの研究はシミュレーションをやっていたので、情報科学の基礎知識は研究を進める上で大いに役立つことだった。それを考えると、会社で過ごした1年は遠回りどころかむしろお釣りがくるとさえ思った。


次に、お金の話になるが、博士に進むなら絶対に学振は取っておきたい。運良く、学振の締切の5月まで1ヶ月ほど時間があった。そして社会人経験者が学振に申し込んで良いのかどうか調べてみたが、年齢制限の他には特に規定されてなかったので大丈夫らしい*2。それどころか、DC1 の申し込み規定「翌年4月に博士後期課程1年在学であること」に合致する*3。普通DC1はM2になりたてで応募するものなので、応募者の多くは研究成果がほとんどない。一方ここで自分が申しこめば、修論を書き上げた経験と相当数の学会発表経験があり、通る自信はかなりあった。むしろ少し反則気味とさえ思った。

博士課程にストレートに進むよりもたぶん良い条件で進学できるとわかり、進むべき道がみえた気がした。


相当迷い、1ヶ月ほど悩み続けたのだが、新卒時に就職を選んだときの「世の中の役に立つことがやりたい」という思いに立ち戻り、結局、会社を辞めないことを選んだ。

2度目:入社3年目の春

あれから1年。春はそういう季節なのだろうか。またアカデミックな世界に戻りたいという気持ちが出てきた。今回は 特にきっかけは無かった NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 の上田泰己さんの回 を見たのがきっかけだった。*4

上田泰己さんは27歳で理研の研究プロジェクトのチームリーダー(教授職相当)に抜擢されたというあり得ないくらい優秀な方。そんな方が選ぶ研究職という職業は、やっぱり素晴らしいんだなあと確認した。さらに、番組中に出てきた「自由に、もっと自由に」という言葉が心に刺さり、そして、ふと気づいた。「『宇宙プラズマ』を研究するから役に立たないのであって、役に立つ分野の研究すれば良いのではないか」と。

プラズマがいろいろな分野で役に立つことは、プラズマ屋さんの就職先参照。プラズマの知識を活かせる核融合エネルギーの研究(プラズマが役に立つ分野の定番w)で学位をとり、それを足がかりに、地球物理の研究成果を工学的研究に活用する「地球工学」という新たな領域の研究分野を立ち上げたいと考えた*5。前回ネックになっていた「世の中の役に立つことがやりたい」も、工学的研究なら達成できるのではないか。そして、学振(ry

そう考え、このときは迷うというよりも退職して大学院に進む方にだいぶ気持ちが傾いていた。親や元指導教員にも会社辞めようと思ってると報告したし、核融合の先生の所へ訪問もした。


結局また辞めなかったのだが、どうするか迷っていたときに最後に決断するきっかけとなったのは、部署のキックオフミーティングで上司が言った(半年に1度、毎回言っている)

 「新しい産業をつくる」

という言葉だった。

情報処理学会等の学会の発表では、学生がモノやサービスのプロトタイプをつくって発表することがある。しかし残念ながら、それらは研究成果としては残るものの、世の中に実際に出ていき役に立つことは多くない。その点で、実際に世の中に出て行くモノやサービスをつくるのできるメーカーという場は、ものすごく恵まれている。そしてそれは単にモノやサービスに留まらず、ひとつの産業分野をまるごとつくり出すことさえできる。これこそメーカーの醍醐味であることを、この言葉が教えてくれた。これを聞いて、今の仕事の魅力を再確認し、仕事を続けようと思った。

その後

アカデミックへの気持ちはどうしたかというと、プラズマではなく、仕事で携わってきたネットワーク関連を研究テーマとして博士号取得を目指すことにした。

分野としては情報系で、物理の研究ではないが、2つの異なる分野で研究をしてきた経験は、きっと今後役に立つだろうと思っている。ずっとプラズマの研究を続けてきた人やずっとネットワークの研究を続けてきた人は大勢いるだろうが、プラズマの研究とネットワークの研究をしたことのある人はそうはいないはずだ。

さらに、会社を辞めずに社会人博士コースに通うという選択をすることで、会社で働いて収入を得つつ大学院で研究するという、美味しいとこ取りをしている。

研究テーマによって社会人コースに向き不向きはあると思うが、辞める/辞めないの他にこういう選択肢があることも頭に置いておくとよいかもしれない。

さらにその後(追記)

社会人博士は続けていますが、転職しました

*1:宇宙プラズマの研究や他の理学的研究が役に立たないなどとは全く思っていない。ただ、かならず役に立つとは限らない、どういう形で役に立つかわからない、自分が生きてるうちに役に立つかわからない、という点があり、世の中に貢献していることをもっと実感できる仕事をしたいと思った。

*2:あくまで応募要項を読んでの判断。詳細は学振へ問合せてほしい。

*3:あくまで応募要項(ry

*4:自分は基本的に録画した番組は一度しか見ないのだが、これだけは例外で、事あるごとに何度も見なおした

*5:冷静になって調べてみると、既にあるのだが [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B7%A5%E5%AD%A6:title=地球工学 - Wikipedia], [http://www.s-ge.t.kyoto-u.ac.jp/ja:title=京大地球工学科]