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北海道の大学教員/情報科学研究者の日記

北大CoSTEPモジュール1「科学技術コミュニケーション概論」を受講しました #costep

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今年度、北海道大学 科学技術コミュニケーター養成プログラム (CoSTEP) を受講しています。

CoSTEPの講義はモジュール1からモジュール6まであります。各モジュールは5回程度の講義で構成されます。その1つ目のモジュール1が終わり、以下のようなレポートを提出しました。*1

モジュール1 レポート

科学技術に関わる活動が専門家のみで行われることに限界があることを、2020年度開講プログラム(2日間)およびモジュール1の講義をふまえた上で、論じなさい。(800〜1200字程度)

科学や技術は、私達の生活に深く関わるようになり、もはや専門家だけのものではなくなった。再生医療地球温暖化問題、原子力発電、自然災害、そして昨今のCOVID-19のような課題は、現象を科学的に解明するだけでなく、それを踏まえた上で社会がどのように対応していくか議論し検討する必要がある。このような「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」を指し、Alvin M. Weinberg氏はトランス・サイエンスという概念を提唱した。世の中には、上述の例に限らず様々なトランス・サイエンスの課題にあふれている。トランス・サイエンスの課題では、社会の状況や個別の事情に応じて、受ける影響や取るべき行動が変わってくる。そのため、専門家が問題の解決方法を見つけ、市民に対して一様な解を与えて従わせるのではなく、市民一人ひとりが自らが考え、思案を重ね、情報を取捨選択し、その過程の中で妥当で納得感のある行動を見つけていくことが望ましい。また、市民が持っているローカルな知識を専門家が活用すること(素人の専門性モデル)や、市民が科学技術に関わる意思決定に参加すること(市民参加モデル)が、トランス・サイエンスの課題解決を助ける可能性がある。

では、専門家と市民がいれば自然と協力し合うかというと、必ずしもそうではない。専門家と市民の接点が無かったり、接点があっても互いを信頼してコミュニケーションを取ることができなかったりする。専門家は、このような食い違いの原因は市民に知識が欠如していることであると考え、一方的に情報を与えようとしがちである。しかし、これは欠如モデルと呼ばれ、いまでは批判されているものである。専門家と市民は片方向ではなく双方向のコミュニケーションが必要であり、互いに背景や文脈が異なるため、内容と前提を噛み砕いて伝える必要がある。ここで、専門家と市民をつなぎ、コミュニケーションを円滑にする存在が、科学技術コミュニケーターである。

専門家である研究者が自ら科学技術コミュニケーターの役割を担う場合もあるが、これは必ずしもうまくいくとは限らない。専門家はその分野の専門家であるが、他の分野においては専門家ではない。そのため、分野をまたがった議論には、別の専門家を巻き込む必要がある。また、同様に、専門家はコミュニケーションについての専門家であるとは限らない。そして、科学技術コミュニケーターの役割は、場を作ること、情報や前提を噛み砕いて伝えることなど多岐にわたる。これらすべてを研究者が担うのは大変であり、本業である専門性を磨く時間が削られることとなる。科学技術コミュニケーションが円滑に進むよう様々な場面で躍動することが、科学技術コミュニケーターに求められる。

モジュール1を終えた感想

モジュール1は「科学技術コミュニケーション概論」ということで、科学技術コミュニケーションを学ぶ上での基礎となるような4つの講義がありました。本当はもう一つあったのですが延期に。モジュール1の4つの講義のうち2つは録画講義で、1.5倍速で聞いてました。Evernoteで箇条書きのメモを取りながら聴講していましたが、1.5倍速でも特に問題なく聞けました。ついていけないところがあったときは聞き直しますが、聞き直しが発生した1回の講義で数回程度。受講時間が短くなる分、集中できる気もします。

これらの講義の中で、「欠如モデル」「トランス・サイエンス」という2つの単語が度々登場します。欠如モデルは以前より知っていたけれど、科学技術コミュニケーションを考える上でこれほど重要なものとして意識してはいませんでした。トランス・サイエンスは、科学技術コミュニケーションの根幹となる概念で、NT札幌やニコニコ学会βのような場づくりの活動でふと生じる「何のためにやってるんだっけ?」という疑問に、明確な回答を与えてくれます。科学技術コミュニケーションに少しでも興味があるのであれば、この2つの概念はぜひ覚えておいて欲しいです。

トランス・サイエンスについて何か考えるたびに、いまCOVID-19関連で起きている様々な課題はまさにトランス・サイエンスの領域であるなと強く想起されます。一個人としては、確定しない情報に振り回されるのがあまり好きではないので、COVID-19の情報収集は最低限しかしていないし、なるべくしないようにしているのですが、科学技術コミュニケーションの観点で、いまどういう情報が発信されているか知っておくことはとても大事な気もしてきました。

レポートでは、講義を通じて学んだ「科学技術コミュニケーションの現状」をまとめることが課せられた課題であると認識し、また字数の制限もあったため、講義で触れられていないことや自分の意見はあまり含めませんでしたが、レポート執筆を通じて以下のような問いが浮かびました。

  • 「市民」といっても、さまざまな市民がいて、知識レベルや科学技術との関わりの姿勢などは大きく異る。これらを市民として一緒くたに扱ってもよいのだろうか。(モデル化の話なので、ある程度の一般化が必要ではあります。)
  • 「専門家」も同様。
  • 「科学技術コミュニケーター」というのは、肩書(job)なのか役割(role)なのか。レポートでは混ぜて書いてしまったため、最後の段落がすこしおかしくなった。
  • 「科学技術コミュニケーションがうまくいっていないのは世の中に科学技術コミュニケータが足りないからだ」というメタな欠如モデルになっていないか?

これは、今後も引き続き考えていきたいと思います。

長々と書きましたが、一言でいうとめちゃくちゃ楽しかったので、この先の講義も楽しみです。

関連文献

まだ読んでいないのでこれから読みたい

科学コミュニケーション論

科学コミュニケーション論

  • 発売日: 2008/10/01
  • メディア: 単行本

お知らせ

07/29(水)19:00~20:30にJOSS Cyber Week「オープンサイエンスにおけるコミュニティ・情報・空間を考える」というセッションをオンラインでやります

参加申込みはconnpassから

*1:レポートをblogにて公開してもよいことは最初のガイダンスで確認しました

研究者だけどエンジニアと呼ばれることについて

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いろんな方と話している時に、私のことを「エンジニア」と呼ぶことがよくあるんですが、その度に、「エンジニアじゃなくて研究者なんだけどなー」と思ってます 。コード書いたりもしますが、そんな毎日バリバリ書いてるわけではなく、プロダクション向けのコードをデプロイしているわけでもないので、エンジニアと呼ばれるのはなんかちょっと違うかな、私がエンジニアを名乗るのはおこがましいなと感じてます。わざわざ訂正はしませんが。

以前、いけあやさんが女優じゃなくてタレントだとブチ切れてたことがあるんですけど、その気持ちとおそらく同じです。

私も、以前はエンジニアだったということで、余計ややこしいんだろうなとは思います。現職のNICTに入った時も最初は技術員と言う役職だったのでいわゆるエンジニアなんですが、2年目からは役職が研究員になったので、役職で区切るならこのときから研究者です。研究者5年目です。

エンジニアでも研究者でもない人からすると、違いがわかりにくいんだろうなとは思います。特に情報系では、やってることが似てたり、場合によっては同じことをやってたりしますし。研究者としての役職に就いていても、自身がエンジニアであるという意識を強く持っている人もいます。工学部、工学博士を英訳するとそれぞれDepartment of Engineering、Doctor of Engineering なので、そもそも違いは何なのか。工学研究者は、研究者なのか、エンジニアなのかというのもよくわからなくて、これはまだあまり深く調べたり考察したりはしていません。

ただ、研究とエンジニアリングの敷居が低くなり、行き来がしやすくなるのは、キャリアパスの多様性の面で大賛成です。実際、情報系では他分野と比べて敷居が非常に低くなっていると思います。

当然ですが、エンジニアより研究者の方がすごいというわけではないです。わざわざ言及するまでもないくらい当然だと思うんですけど、たまに情報系研究者がソフトウェアエンジニアの上位職だと思っているように見受けられる場面にたまに遭遇するので。逆もまた然り。役割が違うだけです。すごいエンジニアはすごいし、すごい研究者はすごい。

以上、たまに「エンジニア」と呼ばれるけどわざわざ訂正するほどでもなく、毎回少しずつモヤっとした気持ちがたまっていくので、blogに吐き出してみました。

単調

f:id:yumu19:20200520085417j:plain 在宅勤務を1ヶ月ほど体験した感想は、毎日規則正しく生活できて、気分転換に散歩もできて、とても快適である。「田舎にこもって好きな研究に没頭する」という理想を思い描いている人は多いと思うが、それにかなり近い。

なのだが、研究に没頭できているかというと微妙で、時間がある割にはパフォーマンスが出ていない。出張もないので毎日作業時間が確保できるので、「明日でいいや」と思っていろんな作業をつい先延ばししてしまうことも多い。研究と規則正しい生活は相性が良くないのかもしれない。

そして、平日も休日も、起きて仕事して寝ての繰り返しで、生活がすごく単調になったと感じる。買い物は、荷物がいつでも受け取れるのでほとんどネットスーパーで済ませていて、すごく便利なのだけどどこにも出かけなくなった。車に全然乗ってない。

週末に仕事以外のタスクがあることも良くないかもしれない。平日も休日も同じような生活リズムになってしまう。今現在だと来週末開催のSpaceApps COVID-19 Challengeの準備が喫緊の作業である。週末がデスクワークから開放されれば、もう少しメリハリが出るかもしれない。他にもいろいろあってしばらく難しそうだが。。。

毎日している散歩は、同じ道で目的地を往復するのは飽きてきたので、最近は知らない小道に積極的に入っていくようにしてる。そもそも在宅勤務をする以前は徒歩で移動することはほとんどなく、基本的に全て車移動だったので、近所にもまだまだ知らない場所がたくさんある。新しい道を見つけて進んでいくワクワク感は、探検している小学生のような気分を思い出す。

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今朝の散歩で初めて通った道。散歩にちょうどよい。

P.S.

最近は音声入力で初稿を書くことが多いが、久しぶりにキーボード入力してみた。窓を開けていて閉めるのが面倒だったので。音声入力に慣れたことによって、キーボード入力での初稿執筆速度も上がった気がする。入力方法によらず、頭の中で考えていることを整形せずにそのままダンプすることになれたのかもしれない。

CoSTEP16期開講式 〜 科学技術コミュニケーションとは何か? #costep

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北大博物館で展示されている化石
もう一週間経ってしまったのだけど、先週末にCoSTEP16期の開講式がありました。ガイダンス、初回講義、特別講義を半日くらいかけてオンラインでやりました。例年は懇親会なども含めて2日間でやるものだそうです。めちゃくちゃ面白かったので、このときの感動した気持ちを消えないように書き留めておきます。

科学技術コミュニケーションとは何か?

初回講義は、川本思心先生の「科学技術コミュニケーションとは何か?」。本当に面白かった。科学技術コミュニケーションについて興味があったので受講したので、面白いのは当然といえば当然なのかもしれないが。科学技術コミュニケーションについて断片的に知っていることや実践してきたことが、体系的な知識として身につくような感覚が得られた。90分の講義だったけど、もっとずっと、4時間でも5時間でも聞いていたかった。

講義の冒頭では、「科学技術コミュニケーションとは?」という問いが与えられた。この問いへの答えを各自書き留めておき、約1年後のCoSTEP修了時に見返し、どう変わったかを振り返るそうだ。自分の答えは「科学技術について、専門家以外の人へ、わかりやすく、正確に伝えること。」。ただ、初回講義が終わった時点で、この答えは科学技術コミュニケーションの一部に過ぎないな、と既に思う。

トランスサイエンス

初回講義が面白かったので、その中で紹介されてた昨年のCoSTEPの見上公一先生の講義「トランスサイエンスと科学の境界線」のアーカイブ動画を、講義終わった直後のその日の夕方に観た。いままでトランスサイエンスという概念を知らず、とても勉強になり非常に面白かった。講義を聞きながら取ったメモは2600字を超えていた。

トランスサイエンスは、科学と政治が重なる領域。科学の知識は必要だが、科学だけでは解決できない問題。今のCOVID-19がまさにそれだし、CHIで見かける市民や社会と協業する社会科学的アプローチの研究にも通じる。トランスサイエンスについて、このエントリがわかりやすい。このエントリもCoSTEPのレポートの下書きだそうです。

講義の参考資料。

CoSTEPの沼

私が受講している選科だと、3日間の集中演習がある以外は講義のみなので、90分の講義を年間27回受講し、800字のレポートを6回提出するだけで、それほど負担なく受講できると思っていた。実際、最低限こなすだけならそれで済むだろう。しかし、過去2年分の講義アーカイブを観ることができ、その中には、絶対観たいと思う面白そうなものがたくさんある。さらに、紹介される関連文献も読もうとすると、時間がいくらあっても足りない。これは沼だ。

研究と科学技術コミュニケーション

研究と科学技術コミュニケーションは別物なので、研究者は科学技術コミュニケーションについて専門的に学ばない。何かしらの形で実践している研究者でも、体系的に学ぶ機会はあまりないだろう。自分は、科学技術コミュニケーションに興味持って関わっている方ではあると思うが、それでも新たに学ぶことがとても多かった。

すべての研究者が科学技術コミュニケーターになる必要はないが、科学技術コミュニケーションがどういうものであるかは、研究者は知っておくとよいなと感じた。科学技術コミュニケーションについて伝える役割「科学技術コミュニケーションコミュニケーター」が必要だな、と思った。*1

おわりに

「科学技術コミュニケーション」という興味を持っていたことが体系的に次々と説明されていくことが、本当に面白い。高校物理で物体の位置と速度が簡単な数式で表せることを習った時や、IPやイーサネットの通信の仕組みを知った時のような感動がある。

講義資料の参考文献に挙げられている文献を全部読めば、同様の知識は得られそうだけど、全部読むにはめちゃくちゃ時間かかるし、そもそもこの講義資料がなければこれらの文献にたどり着くまでにさらにめちゃくちゃ時間と労力がかかる。これこそ「知の高速道路」である。大学の講義はすごいなと改めて実感した。

*1:大学院生や教員向けに講義やってる大学もきっとあるのだろう