yumulog

北海道の大学教員/情報科学研究者の日記

日本の就職について(ちゃんと書きました)

はてなダイアリーtwitter 記法が使えるようになったみたいなので、書いてみました。茂木健一郎さん(@)のつぶやきにコメントする形で書いてみます。便乗ともいいます。



便乗してコメントしていきます。



そう。研究がまだ本格的に始まってもいないのに、就職か進学か選ぶなんて。就職を選ぶにしても、研究活動を行っていないこの段階で自分の進みたい道を見つけたり、面接で強みをアピールすることは難しいのではないか。



経済成長期では上手くいっていたんでしょうね。現状でも




これは、何とも言い難いです。直接は関係ない気がしますが、根本は同じところにある?



そう。枠にとらわれないで何か経験した人材は貴重だし、自分で何か行動を起こして学んだことは受け身で学んだことよりもはるかに身についているはず。そして学生側は、やりたいことへの挑戦を「就職活動に不利になる」というくだらない理由でためらってしまう。



採用にかけるコストが見合えば、というところでしょうか。



すみません、波頭亮さんを存じ上げておりません。



これはある程度割り切っているのでは。優秀な人材を漏れなくカバーしようとすると多大なコストがかかるので。



がんばれ!



そうですね。日本は地理的制約や言語的制約が大きいせいか、世界の中でも独自の文化を形成しているように思います。そのため、他国の文化について情報が入りにくいように思います。自分もギャップイヤーについて聞いたことはありましたが、きちんと理解しているわけではないので勉強しようと思います。



大げさですが、注目を集めるためにはこのくらいでちょうどいいのかもしれません。書いた茂木さん本人も当然わかっていると思いますが。



そうですね。




まとめると、


就職活動の時期をある程度統一するというのは、特定の期間に活動を集中して行えるので、企業にとってはもちろんですが学生にとってもメリットがあるのだとは思います。ただ、3年生の後半〜4年生の始めというのは少し早くないですかね。研究を経験していないため、とりあえず大学院、という選択になってしまうのも仕方がない気がします。


それから、茂木さんのツイートでは明示的には書かれてはいませんでしたが、新卒採用の後に再チャレンジできる採用環境が整っていないことが最も大きな問題だと思っています。新卒採用において、雇用する側にもされる側にも終身雇用という考え方が未だに残っていると思うのですが、人生を左右する大事なイベントをある特定の時期に集中して行うというのはギャンブル的な要素が高いと思います(これは大学受験等にも同じことが言えますが)。その時期に体調を崩してしまったら、と考えると恐ろしい。


新卒採用自体を完全に廃止する必要は必ずしもないと思うのですが、新卒一括採用に漏れてしまった場合や、新卒の際に企業選び・職種選びに失敗してしまった場合、やりたいことが変わった場合に再チャレンジできるような流動性の高い雇用市場形成を望みます。そうなれば、やりたいことにいつでも挑戦でき、強みを生かした職業に就くことができるという、よりよい世の中になるのではないかと思っています。